くまくま日本史をちょー卍なおにめつでぱーん!
あれ?タイトルが何処かでみたかも?パクリ?
そういう人たちの記憶も( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン
さぁ気分(記憶)も新たにご覧下さい
今日はあんまり目立ってないけどスゴイ偉人を紹介したいと思いますm(_ _)m
『歴史とかーちょー卍なんですけどー』
(パワーワードは逃しません)
そんなギャルの皆様の心をぱーん!と握って離さないお話にしたいかなと…
今回は4代徳川家綱さんをくまくま目線でご紹介していきます
この人の前が3代将軍の『徳川家光』です。大河ドラマの春日局とかでご存知の方も多いですよね
そしてこの人の後の5代将軍は『徳川綱吉』です。この方も忠臣蔵や生類あわれみの令などで有名です
(画像が関係ないじゃん的な記憶もいたとん!)
この前後のアクの強い将軍に挟まれていて、あまり有名ではないのです(T^T)
実はこの御方…将軍になった年齢がなんと『11才』という若さ。当時家督は年齢に関係なく世襲制だったので、今で言う皇太子がそのまま天皇陛下になるようなものでした
この人のあだ名は『さようせい様』
部下や側近が何か決裁を求めるときに『左様するのが良かろう』しか言わずに細かい内容は部下任せ…ということです
実はこれは当たり前の事で泰平の世となっていた江戸時代のこの時期は武力よりも政治力が優遇されて、将軍が何かを考えるのではなく、幕府の行う政治を将軍様が許可を出すだけなのです
では、なにゆえこの人が凄い人なのか?
一番目は、殉死制度を無くしたこと
これ以前の戦国時代の前からも主君が亡くなったら側近は『あの世でもお支えします』と一緒に命を落とすのが当たり前だったのです
家綱は父親の家光が亡くなった時に側近達一人一人に『殉死するのは父には忠義だが、父の決めた次の主君の自分に仕えないのは不忠である』と説いて周ったそうです
そのおかげで父の代の優秀な人材が家綱の政治を支える事が出来たのです
これを11才の少年が言ったのですから…
次は駆け込み養子制度を許可したことです
世襲制とは言いましたが、大名が亡くなった時に子がいなかった場合はお家はお取り潰し確定なのです
また急に殿様が病死することもあったのでお家騒動にならないよう早目に養子などを貰ったのです。そしてその養子も幕府の許可が必要だったのです
駆け込み養子とは殿様の死の報告より早く養子縁組の届けが出てればOKにしたのです
(お取り潰しともなれば、それを良しとしない大名の家老達が謀反が起こす可能性もあった)
実はこれを許したおかげで実子のいなかった家綱本人も自分の死後、弟の綱吉を養子にして徳川宗家を潰さずに済んだのです
とまあ…真面目な話ばかりもアレなので
本日のためになるお話Σ(゚Д゚)ナルボド!
家綱が亡くなった時に、次期将軍を決めるのに大モメしたのですが、5代将軍に綱吉を押してその後見にひと肌脱いだのはあの『黄門ちゃま』だったのです
綱吉は一生、黄門ちゃまに頭が上がらず、その後も実子のない将軍の跡取りを決める時には『水戸徳川家』の発言力が有力になるのです。これが『天下の副将軍』と言われるゆえんになったのです
To be next ぱーん!