《今こうしていられる事への感謝その1》をぱーん!(*´ω`*) VOL263
お疲れ様です(*´ω`*)
まずはコチラを
以前にも紹介しましたが…こちらはTwitterのフォロワーさんがアップしていたモノをNOTEに引用したり、普段の生活の指針として利用させて貰っております
文字や言葉は発するがわと受け取る側とでは多少のスレ違いやズレが生じるものだと思っています
だから《言葉は完璧ではない》と言うのをいつも気にかけてはいるのです
ですから…この言葉もきっと皆さんとボクとでは受け取り方も感じ方も違うと思います
NOTEをお読みになられた方は知っていてくださると思いますが…
ボクには愛すべき存在を亡くした過去があります
産まれてから11ヶ月で亡くなった子供
その1年後に亡くなった奥さん
彼らに教えられた言葉がまさに上にある言葉全てなのです
①一番怖いのは忘れさられること
文字だけ読んでみると、自分が他人から忘れられる事へと恐怖のように感じます
ですが、ボクはコレを自分の記憶が失われつつあることへの恐怖に感じています
日々…写真を見ても変わらない姿なのに、ひとつまたひとつと思い出せない事が増えてきてます
段々と脳が衰えて記憶そのものが無くなるのかも知れませんが…《この人誰だっけ》といつか判断できなくなる時が来るのがものすごく怖いのです
ですから…今回はネガティブ発言と言うよりも、たくさんこの事を書いて忘れないようにしたいという気持ちでここに書いてます
②一番悲しいのは、別れてしまうこと
やはりこの言葉は《愛する人》との関係になるのかと思います
嫌いな人との関係なら直ぐにでもお別れしたいですもんね
以前起きた《相模原障がい者施設の殺人事件》
その時に…というか、同様の事件の時に議論されます
《障がい者の親の気持ち》
障がい者の子供が亡くなって《楽になるとかならないとか》
これも全然置かれた立場も違う人達がいちおうに語る事に途轍もない違和感しか感じられませんでした
同じ障がを持った子供の親として…
みんな生活の基準も障がいの度合いも生きている環境も利用出来る福祉も違うのに…
楽も何もあったもんじゃないだけどね
みんな想像が豊かすぎて困るよね
被害者の立場とか加害者の立場とか…でも正直思うのは
そんな立場にたってくれなくていいから《そっとしておいてくれないかな》なんだよね
そりゃ…勝手に他人の気持ちになられても、絶対に《いや…分からんでしょ?》としか感じないと思うのです
話がめちゃくちゃ逸れましたが…どんな事があったって《子供と別れる》や《好きな人と別れる》事は悲しい事なのですから
そして《楽になる》のもそりゃ事実ですよ
でも悲しくないのとは絶対に違うし《楽になった》の言葉が子供や障害を持つ家庭の人間たちが放つ冷たい言葉ではないと言うことを理解して欲しいとは思います
それこそ立場は違っても《別れる事は悲しい事》なのだから
③一番悲しいのは会えないこと
正直な話…子供が亡くなり奥さんが亡くなった時に悲しいという感情より早く会いに行かなきゃ…という気持ちしかありませんでした
「後の事なんか知るもんか」
ってやつです
奥さんが亡くなって初七日までは我が家にも人の出入りも多くやる事がたくさんあって、ほとんど感情の無いまま《やる事をこなす》だけの日々でした
ゆっくり思い出すなんて事は出来やしない環境でした
早くボクをひとりにして下さい
みたいにしか思ってませんでした
そして…人の出入りも無くなり、本当に1人っきりになった時でした
本当にもういいか…やる事やったよね
そんな風に思っていたら、ふと彼女の遺したノートが目に入りました
・彼女の作る我が家の料理のレシピ
・2人で行った旅行や買い物のレシートやお弁当の包み紙を貼り付けたスクラップブックみたいなもの
そして…彼女自身の闘病記
そこに書かれていた文言にまたハッとさせられました
子供の一周忌にあたり様々な事が事細かに書かれていました
そして次にすべき三回忌の事
最後に《よろしくね》と自分が病気で出来ない代わりに
《後は任せたよ》と明るくボクを笑わし励ます下手くそなイラストと一緒に…
まだまだやる事があるんだ…そう伝えられた気がしたのです
これから彼女の四十九日法要も来年の子供の三回忌も彼女の一周忌も…その後の法要
やる事あるなぁ…
ずっとずっと病気の彼女にボクは救われて来たのです
それは亡くなった後も…そして今日があるのです
会えなくて寂しいとか悲しいとかよりも、やる事を放り出して中途半端で会いに行っていたら
めちゃくちゃ怒られていたのかも知れません
続きは次回です
【今日のくままご飯】
温玉乗せハム&キャベツ
ソースをたぷーり
キャベツとソースうんまー!
これは完食しました(*´ω`*)
新ビオフェルミンS錠恐るべし威力
To be next ぱーん!